2021年5月14日金曜日

8日目 最終日

 令和3年5月6日(木)晴れ

 今日は良い天気。今日で旅行も終わり。
 トラブル発生。カメラ。SDカードに写真が保存されていない。
 昨日、撮りためたものがパーになった。
 確かめると、撮った写真1枚だけなら保存できる。しかし、それ以上は保存できないみたいだ。
 今回、1日ごとに写真をパソコンい保存。今までの写真とビデオはあるのだ。あまりがっかりしない。ママもスマホで撮っているし。
 第一、こんなのでガッカリしていたら旅行が終わってしまう。
 Travel is trouble. なのだ。

安楽寺の朝 14秒

 今日は6時半に朝食。
 昨日のおじいさんは、大阪の人。
 割と気楽に来られるみたいだ。
 奥さんがなくなってから、ガラリと変わり、このようなものに興味を持つようになったと。奥さんが居なくなると男は終わりだ、と言っていた。女は旦那が居なくなると逆に元気になるようである。
 今日は藤井寺に行き、明日は焼山寺までトレールで行くと言う。
 しかし、明日は雨だ、と。
 室戸岬にほうに行く時は寺があまりないので、一つの寺につくのに3日かかる、とか。

 最近、野宿をして回る人が多くなったのであるが、彼らがゴミを捨てたり、そこらへんに大小便をするので、四国の人は皆嫌がていると。野宿している人がいると、「あっちへ行きなさい」と言われるケースもあると言う。

 さて、今日はまず、切幡寺へ行く。ここから30分くらい。
 空海が着物の布を所望したところ、布を作っていた女性が惜しげもなく切って空海に与えた。その瞬間、金色に輝く千手観音に変わり即身成仏したと。
  すごく長い階段のある寺。350段。昨日の金比羅山の約半分。





お経を唱える 23秒
https://youtu.be/qFL1iBQaQZs

切幡寺の説明 27秒

国指定 重要文化財 大塔 16秒

 次に、阿波の土柱を見に行く。これもここから30分。
 奇観ではあるが小さい。
 近くにいくつものホテル、お店があるが、調子悪そう。
 廃業が目立つ。
 下から見て、そのあと、上からも見た。
 上の方に、観光ホテルが立っていたが、廃墟になっていた。
 あまりこのようなところまでホテルを建てるべきではないと思うが。
 ある意味、この奇観が台無しになる。

阿波の土柱に行くトレール 12秒

阿波の土柱 15秒

土柱 上から 断崖である 20秒

 ここから戻る、
 40分ほど戻ると、五番 地蔵寺がある。ここを見る。
 鐘をついたあと、
 お勤めをする。 これがこの旅行で最後のお勤めとなるであろう。
 寺の裏に五百羅漢像がある。これを見る。

5番 地蔵寺 山門 17秒

地蔵寺 境内 15秒

地蔵寺 鐘つき 25秒

地蔵寺 鐘つき プロ 20秒

地蔵寺 お経 3分13秒

帳面に書いてもらう 筆捌き 見事 20秒
打ち石(磬 けい)を鳴らしてお祈りをする本格的な人たち

岩手から来られた方と思う

地蔵堂 五百羅漢像 24秒


 このあと、昼ごはん。
 セルフでできるうどんを食べたいというので、そのような店がここから2kmほど戻ったところにあるのでそこに行く。
 小生の頭で描いていたようなうどん屋さん。
 客もひっきりなしに来て、流行っている。
 岩手ナンバーの大きな車で来た八人くらいのお遍路さんの集団あり。
 いろいろ大震災と津波でよくないことに遭った人が多いからね。

お昼ご飯 うどん 11秒
https://youtu.be/lvrRbGpU_Fc
 
 昼ごはんのあと、鳴門市のドイツ館に行く。12時45分ころ。
 ここは第一次大戦で青島での戦いで捕虜にしたドイツ人五千人をいろいろな場所に収容したと言う。ここもその一つ。
 町の人とも交流したり、第9や音楽の演奏会を開いたりしたと。
 ドイツ館 割とゆっくり見て時間がかかる。

ドイツ館 8秒

ドイツ橋 7秒

ドイツ橋 17秒
 https://youtu.be/u6yA47Unpos

 鳴門の渦潮は15時半がピーク。しかしこれを見ると神戸18時の飛行機に遅れそう。15時頃まで見て戻るのが良いと作戦を立てる。
 割りと時間は余裕があるかな、と思っていたが・・・
 ドイツ人が作ったドイツ橋(眼鏡橋)があると言うので見に行く。
 近くであるが、神社の境内のなかにある。
 その神社までは2分。
 その中にあるというが時々標識があるが分からない。結局神社を1周してやっと着く。小さな橋である。
 ここから鳴門に向かう。鳴門には2時45分頃到着予定。鳴門の「うずの道」に着きたいのである。
 ちょうど良い時間。このくらいについて、ピークではないが3時頃の渦を見て飛行場に向かえば良いであろうと思っていた。
 どこで高速道路を降りるのか、iPadナビはきちんと示さないことが多い。「鳴門北」が近いのだが、そこから2km先の鳴門の先端でも降りるところがあるのかな、と思ったら「ない」
 本当は鳴門北で降りてそこから行けば良かったのだ。
 結局、鳴門海峡の橋を渡り淡路島へ。
 通る時「目的地に到着しました」だと。アホでないか。このナビ。
 淡路島の次の出口で降りて、どうするかと思ったが、渦の道まで16分かかると。
 これに行くと、飛行機が危なくなる。16分で着くとなると15時16分。うずを見るのに30分くらいかかるとする。神戸のレンタカーを返すところまで1時間10分。するとレンタカーを返すと17時になる。そこからポートライナーに乗って飛行場入り。例によってギリギリになる。今回は安全策を取って辞めた。
 また、次の機会がある。ママが、次は船に乗って見よう、と言って張り切っていた。
 ここから神戸の三宮 レンタカーの借りた貿易センタービルのニコニコレンタカーまで行く。
 神戸の付近は高速道路も細かく大変。ナビの指示で左車線に行ったり、右車線に行ったりしてうまく行った。鳴門ではバカだったナビもここではお利口さんであった。
 16時15分ころレンタカーを返した。
 ガソリンスタンドの人が、「連休中にどこに行ったのか」と尋ねるので、「四国に行った・お寺めぐり。お遍路」と答えた。
 楽しそうですね、と言う。
 混んでましたか、と言う。
 混んではいない。コロナで旅行する人が少ないから。今が逆にチャンスなんだ、と言う。
 彼は羨ましそうな顔をして
 彼も友人とゴールデン・ウィーク中に旅行をする予定であったが、緊急事態宣言が出て友人らの腰がひけて行かなかったと。

レンタカー 返す

 こんなの、結局東京オリンピックの絡みもあるのか、政府がざる入国を許して、広めてしまったものである。14日間の待機期間を設けているが、守る者は少数であると言う。きちんと強制力を持って執行しない守る外人などいるわけはないのだ。彼らにモラルを期待してもダメ。モラルはないのである。まるで獣。罰がないものは守らないのである。外人よりも政府がどうかしている。コロナ を広げて楽しいのだろうか。
 元々コロナは外国から来たものだし、今の恐怖の変異種N501Yもインドから来たもの。インド人、というか、外国人を入れなければコロナは広がらない。
 札幌でもマラソンのプレ大会があり、多くの外人が参加した。5月5日。この1-2週間前から選手やら、関係者の外人が入国し、札幌に来たが、これと合わせるように、札幌ではコロナが激増した。
 日本人があちこち行くのを規制しても無意味。
 観光業、飲食業を苦しめるだけ。 
台湾はしっかりと水際対策をやっている。それゆえ、コロナの発生者は1日3人くらい。
 このガソリンスタンドのお兄さんも旅行すべきであったな。
 今は空いていてチャンス。
 本来ゴールデンウィークなら四国のお遍路など無理である。どれだけお寺に行く道が渋滞することか。 
 昔、高松に住んでいたことのある母も言っていた。ゴールデンウィークは大変だ、と。
 言っていると渋滞には合わず、快適であった。
 どこも気の毒なほど空いていた。
 いつものゴールデンなら、納経場で記帳してもらうだけで、すごい列になることも多いと。

 さて、ここから大きな荷物をひきづって、ポートライナーの駅へ。国際貿易センタービル。
 あづける荷物の重量が5kgほど超過。
 ママが荷物を入れ替えた。酒、みかんを手荷物にして着替えを鞄に。3kg節約。
 手荷物のところに行くと、一人21kgでギリギリセーフ。手荷物をオーバーすると結構お金が取られるのである。
 5時20分。空港のレストランでご飯。これが小生は楽しみである。旅行後の酒はうまいのである。
 レストランもあまりやっていない。看板に空白が目立つ。
 うどん屋に行く。刺身を食いたかったのであるが、ママは刺身は苦手のようである。
 まあ、うどんと酒が合うのかどうかは分からないが、あとは一般的な洋食屋しかないのである。
 ここに入り、たらこうどんの冷えたものを注文。 あと、唐揚げとイカ天を頼んだ。全部で1000円くらいか。
 辛子明太子がかけてあるだけのもの。美味しくないことはないがちょっと調子が狂った。酒の提供はしていないとのこと。 
仕方がないのでドイツ館で買った小さい瓶の酒を水を飲むコップに氷を入れて飲んだ。これがうまい。どうしてこのタイミングで飲むと美味しいのだろう。旅行で宿に入った直後に飲む酒はうまい。お風呂に入っていればもう最高だ。今日の酒もスーッと入るのである。
 手荷物チェックをして飛行機の乗り場へ。 
結局無駄な時間は一つもなかった。
 特に早く着いたわけではなかったのである。
 18時の飛行機に乗り札幌に帰る。
 長い旅行が終わった。

2021年5月9日日曜日

7日目 令和3年5月5日(水)雨





今日の旅程
善通寺に宿泊していた。ここを9時に出る。
コンピラさんを目指す。
間違って高松まで行ってしまう。
似ている地名がたくさんあるのだ。2箇所間違う。
そして、善通寺市に戻る。
厳密には善通寺市のとなりの、兼平市にあるのだ。
そこを見て、近くの菅原道真を祀ってある、滝宮天満宮を見る。
ここから屋島の屋島寺を見る。
見晴らしの良いところ。
天気の良い時には本州の先端、下関市の壇ノ浦まで見えるという。
ここから、今日の宿泊地の安楽寺に行く。



令和3年5月5日(水)雨
 今日は朝、ゆっくり。
 雨が降っていてやる気がしないし、お疲れモード。

 9時頃から宿泊した善通寺をみる。
 お勤めはしたのでちょっと端折った。
 すごく広いお寺である。大師堂と本堂が道路を挟んで別のところにある。
 ここを出て金毘羅(こんぴら)さんへ。

 トラブル発生。高松まで高速で行き「目的地周辺です」と近づいたが、随分静かすぎる。
 わかった。実はこんぴら というのはたくさんある。
 ここはダメで、別のところに行く。
 随分寂しいところ。
 車も通れるかどうか怪しい道を行けとナビに出る。
 片側はため池だ。危ないです。
 近所のドラッグストアに聞くと、なんと善通寺の近くであった。
 金毘羅 金比羅 と漢字で2通りあり、そのような名前の寺や神社、離宮がネットで見ると5-6個ぞろぞろと出てくる。
 もっと慎重に計画を立てるべきであったな、というか、紙の地図がないとダメ。後で紙の地図を見たらすぐに分かった。
 大変な無駄 2時間の無駄。


こんぴらさん また戻っていくの?!  えーーーっ!



 ママ えらく不機嫌。時間を無駄にしたと、ブーっと膨れていた。
 また、戻って金比羅さんは見る、というと、しかめっ面で「えーっ?』とか言う。と言いながら、すごい代案があるわけではないのだ。
 代案を聞いてみると、屋島から今日の安楽寺まで道沿いにお寺が並ぶのでそのお寺5箇所くらいでお勤めするのだと。
 それはもともと俺のネタだ。
 しかし、それにしても、ママがそんなにお勤めが好きだったとは驚いたぞ。
 行く高速道路からちゃんと立札がある。

 金毘羅離宮。
 香川県一の観光の名所である。立札がたくさんあるのも当然だ。
 「兼平」という地名である。「かねひら」とも読めるが「こんぴら」とも読める。
 駐車場。おじさんがここに停めたらいいよ。参道まで2分だ、というので駐車する。500円。
 指定の店で2000円以上買うと、500円が無料になるという。
 駐車場はどこも空いている。コロナだろうな。
 大変な階段。350段(700段であった)。
 参道がありその周りに多数の店があった。
 階段を登り出すと「おばあちゃんもここに来ていた」と言って、突然喜び出した。飴をお土産にもらったのだ、という。
 その飴に金比羅さんのマークが書いてあったと。
 「おばあちゃんに呼ばれたのだ」というと嬉しそうにしていた。

 雨がキツくなってきた。
 晴れていれば見晴らしもけっこう良いだろう。
 一番上に「資生堂パーラー」があった。
 ママが行きたいと言うので行った。
 パフェとコーヒーを注文した。
 「おばあちゃんもここに来たかな」というと「来た」と言って和んでいた。
 先ほどの膨れっ面はどこに行ったものか。

 次に、滝宮八幡宮
 菅原の道真を祀ってある。
 ここから26分。
 行くと普通の人気のない神社。
 しかし、ちょっと回ると、天満宮とあり、いかにも菅原道真、と言う感じ。行くと巫女さんも売店にいた。人も雨ではあるが少しはいる。ここも参拝した。
 しかし、菅原道真の本場は九州の太宰府であった。

 時間はどんどん押している。現在15:30。
 屋島神社に行くこととした。ここから36分。
 途中、府中湖を見る。高速道路沿いにある。
 屋島神社は屋島半島にあり、ここから瀬戸内を一望できる。 壇ノ浦まで見えるというが。
 散策路もある。今日は残念ながら雨で見通しは悪い。
 狐と狸を祀ってある神社が2つあった。
 ここは源平合戦の地。那須与一が平家の女性が船の上で扇子を広げて、これを射ることができるか、というと、義経の家来の那須与一が見事に弓で射抜いたと言う。
 晴れている日に来たいものだ。
 ここの宝物館に千手観音像あり。これほど完璧に残っているものは珍しいと。鎌倉時代の作。

 ここでガソリンを入れた。そして、今日の宿泊先、安楽寺へ向かう。
 約1時間。。電話をすると、お勤めが5時半からあると。
 この前とは違うのである。「小生がスケジュールは違うはずだから電話したほうが良い」と言ったのである。
 途中で、ビールと氷とおつまみのチーズを買った。
 コンビニもあまりない。
 日本酒は置いていなかった。
 ママが早くしろとまたムクれていた。
 もうどうせ、間に合わないだろう、と。
 けっこうな峠道。

 ここを通って、17時35分頃お寺に到着。
 するとお勤めが始まったばかり。短冊にお願い事を書いていた。
 小生らを合わせて五人。この前と同じやり方か。
 お願い事を書いて、植物の小枝にお願い事を吊す。
 そして裏のお堂に行って精霊流しをしたり、お祈りごとを燃やしたりした。
 願い事は「小生の 訳読のための英文法 がひろく世間に普及しますように。三線が上手くなりますように」と書いた。

 ここからすぐに夕食。
 住職がビールも飲んで良い、というので、私は喜び勇んでお寺の自販機から500mlのアサヒビールを買った。
 また、これを飲んだ後、レモンサワーを買って飲んだ。
 ご機嫌だ。お風呂に入られたらもっとご機嫌だ。
 しかし、お勤めがあったのでお風呂は無理だろう。
 若い、といっても40台の夫婦者かカップル。指輪なし。
 山登りに来たと。剣山と石鎚山に登ったと。
 剣山は比較的簡単と。車で結構上まで行き、そこから1時間。
 おじいさん あり。奥さんが亡くなっている。
 今まで四度車で周り、今度は四回目の歩きで回るのだと。
 筋肉質の元気な人。73歳くらい。

 ママは今日はお土産の整理。
 パパも旅行記を書いたり、ビールを飲んで寝た。
 だいぶ疲れてきた。 

2021年5月8日土曜日

6日目 令和3年5月4日(火)

にこ渕 

四国お遍路の旅 目次


今日の旅程

岩本寺を発ち、風光明美なにこ淵を目指した
途中、川の嵩が増すと沈む橋があった。

途中、川の嵩が増すと沈む橋があった。

にこ淵のあと、大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)を目指す
祖谷(いよ)のかずら橋も行く

ここから、善通寺へ。

第6日目 令和3年5月4日(火)晴れ


 岩本寺。5時半に起床した。

 6時からお勤め。

 ここのお経の本が分かりやすかった。

 どこで声を伸ばすのか、書いてある。

 

 ここの本堂の天井にいろいろな絵がある。

 40年前に人々に募集して描いてもらったのを貼ったと。

 だからマリリンモンローなど奇抜なものがある。

 これはいかがなものか、というお叱りもあったがようだが、「釈迦もインド人なのですよ」と答えていたようだ。

 しかし、この岩本寺。外国人に迎合し過ぎの感あり。

 境内への山門の階段にも、地下鉄の階段のように、英語でWelcom とか書いてある。

 また、境内のおやすみどころがあるが、ちょっと外国風。

 かつては外国人もたくさん来ていたのかな。それにしても迎合のし過ぎ。このようなことは外人でさえ喜ばないだろう。KYである。

 7時に朝食。

 岩本寺でお勤めをして、ハンコとサインをもらって、8時15分に出発。


岩本寺

鐘つきのお勤めをした














天井の絵。
いろいろなものがあるが、どうも現代的過ぎる。
これはいかがなものかな、と思う者は私だけではあるまい。




お休みどころも外人好みかな?
コロナの前はとにかく人がもっと来ていたのであろう。
外人も多かったと思う。

岩本くん。地下鉄の階段でもあるまいし
このようなものはやめよう。
外人に迎合して何が面白いのだ。








街並み



 今日は割とお寺ではなくて観光がメイン。

 仁淀川上流の綺麗な滝を見にい行く。

 須崎まで高速で、そのあと、仁淀川に沿って進む。

 途中道の駅があり。寄り飲み物を買う。

 天気も良いし、川も抜群に綺麗である。キャンプをする人も多数。

 途中で変わった橋がある。

 あれは何だろうと言うとママが「あれは水嵩が増えると橋が沈んでしまう変わった橋ではないか、という。

 少し超えたがUターンをして戻る。帰るときに通るだろうから後でも良いかなと思ったが、見ておこう。綺麗な滝はメインイベンド。そのあとに細かいものをやっても感動が薄れる。それよりも今見たほうが感動が大きい。見る。

 細い橋である。車一台がやっと通れるくらい。所々にでっぱりがある。小さな女の子を連れた若夫婦あり。綺麗な愛情をたっぷりと注がれて育っている子。お互いに写真を取り合った。

 実際に生活道路として使われ車も通っている。でも水嵩が増えたら危ないだろうな。

仁淀川

道の駅

お酒もたくさん売っている


水嵩が増すと沈む橋。
珍しい橋。
今も生活道路として使われている。
夜とかは超危ないと思う







 ここを見て、仁淀川沿いに上流に向かって進む。

 水はどんどん澄み渡り、山はいよいよ青さを増してくる。

 仁淀川沿いに道の駅が3つあり、その最後のところに入って様子を伺おうと思ったら、満車であった。入られなかった。

 さらに進む。近くまで行くと、係員が、交通整理をしていた。

 ここも観光客がたくさん押し寄せるようになったのである。

 ここは三密を避けよ、とは裏腹にたくさんの人。

 しかし、普通のGWに比べたら、ずっと少ないのだろうな。

 現に一番ポイントに高いところに駐車でき、急な鉄の階段を降りて下の方に降ってゆく。

 程なく行くと、写真にあった通りの池、というか滝壺があった。

 水は青く、半分に陽が差して輝いていた。

 たくさんの人が写真を撮っていた。


ここで停めるのである。

急な階段を降りていくのである。


けっこう三密だ









マスコミ部隊出動。
こんなに今日の観光地は三密だ、と報道するのであろうか。





にこ淵 動画 11秒


急な階段を登ってきてがおる 10秒

https://youtu.be/U4u4dtmABJA


 しばらくいてここを後にして、小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)に向かう。


 途中の道の駅で昼ごはん。

 小生はうどんの大盛り。わかめうどん。

 ママは普通盛り。

 あと、小生はそこで売っていた牛の肉の串を食べた。


  https://youtu.be/ZDGI-E8Md0o 牛串を焼いている様子 8秒


 けっこうお腹いっぱいになった。



牛串を焼いている

みかんを売っている


うどんを注文した 大盛り
今日の旅行記のメモも書いている


ママのは普通盛り






 ここから小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)を目指す。

 結局、来た道とは違う道で行くので、先ほどの名越橋をUターンして見ておいて良かったのである。見なかったらそこまで虚しく戻らなければならないところであった。

 大歩危(おおぼけ)につく。眼下に川を見る。絶壁である。

 川で小さな遊覧船に乗ることができる。

 ママが乗りたいと言う。私は、下まで降りて絶壁を見たいと思った。

 ボートは随時出ている。

 チケットを買って川縁まで階段で降りた。

 次のボートに乗れた。ボートはけっこう繁盛しているようだ。

 ボートに乗る前に写真を撮った。「気に入ったら買ってください」

 あとで売るのである。

  ボートで下からの眺めも絶景。崖の両岸にロープをかけて鯉のぼりを何本も泳がせている。

 岩に左上にいくシワが刻まれている。その方向に海の底からせり上がったと言う。一方小歩危は右上にシワが走っている。故に大歩危と小歩危のあいだにせり上がったところの頂点があるという。

 小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ) の由来

昔は今の国道の10mくらい上に細い道路があった。

 断崖絶壁。立って歩くのも這って歩くのもやっと。どちらでも危険。

ということで小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)と言われたという。30分くらいの遊覧。

 

 ここからまた、階段を上がり、お土産や発見場所のあるところに戻る。

 ここには、平家の落ち武者が、蔓(かずら)だけで作った橋があると言う。源氏が攻めてきたら、その蔓を刀で切って橋を落とすのである。

 母から昔々に聞いたことがある。

 四国には平家が逃げてきて山の中に部落を作ったと言う。落ち武者部落という。

 流石に小さかった私でも、あまりにも昔の話であるので、「今でもいるのか」と聞くと「せや」と断定していた。

 ここがそうなのだろうか。

 スタッフのおじさんに「そこに平家の落ち武者部落があるのか」と尋ねると、その奇異なことばに驚いた様子であった。そのようなものは聞いたことがないと。

 ここから30分くらい。

 時間も押してくるが、今日の宿坊 善通寺は、夕方のお勤めがない。6時からご飯でその時間に間に合えば良いと。

故に間に合いそうなので、かずら橋も行くことにする。


子供の日が近いから鯉のぼりがたなびいている。


ママもこういうの好きなんだよね





シワが右上になっている。








船から降りたところ  https://youtu.be/WVkuETiMzTI  14秒

 ここから30分。

 行くと、やまに張り付くように家があり、段々の田んぼもある。

 きっとここが平家の落ち武者部落だったところであろう。

 かずら橋 たくさんの人が並んでいた。

 ゆらゆら動き不安定だし、皆、写真を撮るので渡るのが遅いのである。

 30分くらい並んだか。


 結局、小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)も崖のようなところを、駐車場から見るだけかな、と思ったし、その近くに、何か車で渡れるような橋、あるいは、見るだけの橋があるのだろう、と思っていたが、船には乗るし、かずら橋では並んで時間を取るし、しかも遠くにあるので時間を食った。

 これで宿坊に入るのはギリギリとなるだろう。

 ここから、小歩危(こぼけ)に行く。小歩危はビューポイントの駐車場すらない。小さな橋があったのでそこで止まり、見た。やはり絶壁。


伊予のかずら橋 駐車場

売店












かづら橋を渡る
https://youtu.be/343fFBvjg18  17秒
おっかなびっくりである。

近くで強く踏んで脅かしてやった びびってた ワロ 16秒



うけを狙おうとしている


かずら橋の下に綺麗な滝があった。



焼き物をうっていた。このようなものを買い食いするのも美味い。



かずら橋の作り方を書いている。
3年に一回 掛け替えるのである。
本物を味わえるのである。

小歩危(こぼけ)である。
橋の上から撮影



 ここから善通寺を目指す。

 途中、トンネルがいくつも続く広い道路があり。そこを飛ばしていくと、ナビで道のないところを走っている。このまま行くと着くのか、それともまったく違うところに行っているのか。

 不安になり、トンネルの出口で車が途切れたのでUターン。

 また元の道に戻りナビの通りに行くと、大きな峠道となった。それを超えて、峠を降りると後ろにトンネルが見えた。ひょっとしたら、先のトンネルを抜けるとここに着いたのかもしれない。だいぶ損をしたかも。

 ナビも全部信じるのはだめなのだ。


 ここからはナビ通りに行く。

 昔は道路をある程度調べておいて、途中の要所要所を道標を見て目指せばうまく行ったが、今はナビの時代なのである。ナビがないと動けない。分かれ道に昔はいつも道標があったものだ。今はないのである。このようなところで、ナビがどちらを示しているのかを調べなければならない。結局、ひっきりなしにナビを見なければならないことになる。


 すったもんだの挙句に、それでも善通寺には6時過ぎに着く。しかし、すごく大きなお寺。駐車場に泊まったが、どこが宿坊なのか、大きな伽藍の建物が多数あり、どれが本堂なのかすら分からない。

 歩いている職員のような人に聞くと教えてくれたのでそちらに駐車場から車を出してそこに行く。駐車場代300円かかった。


 6時15分ころ宿坊に入り、すぐ夕食をいただく。このままでは食べられないので、トイレに行くと行って嘘をついて、部屋に行き、日本酒に氷を浮かべて飲んだ。これがすごぶる美味いのだ。駆けつけ3杯というが、湯呑み茶碗に5杯くらい一気に飲んだ。これがベラボーに美味い。


 このあと夕食。刺身もあり美味い。

 隣の人が来ないので食べますか、というので、皆いただいた。刺身はなかった。


 ご飯のあとママはお風呂に行き、小生はテレビを見ていた。殺人事件の話で引き込まれた。結局お風呂に行く時間が遅れてママの不興を買ったようだ。すぐにビールを飲みたかったようだが、ビールを冷蔵庫に入れたり、また、持ってきたりしているうちに時間が経ちまた、不興を買った。文句を行って寝てしまった。

 

小生はテレビを見て、ビールと日本酒少々を飲んでいたら、独り言をいう声がうるさい、と文句を言いにきた。


 小生も気分が悪いし、疲れているので寝た。布団がふかふかで気持ちが良い。

 

 暖房がない、ということだが、非常に暖かく過ごすことができた。




けっこう豪華である。
火の入った鍋まで出た。
ビールの自動販売機まであった。
飲みながら食べたら最高に幸福であっただろう。



四国お遍路の旅 目次

秋のお遍路  令和3年9月21日(火)4日目

 令和3年9月21日(日)晴れ   今日は朝6時に目が開いた。  お風呂に行く。   そのあと、6時40分くらいからもう一度足摺岬に行ってみた。  展望台から眺めてみた。  もう来ることはないであろう。  金剛福寺ももう一度見た。厳かである。  帰って少し寝て7時半になるとママか...