にこ渕
今日の旅程
第6日目 令和3年5月4日(火)晴れ
岩本寺。5時半に起床した。
6時からお勤め。
ここのお経の本が分かりやすかった。
どこで声を伸ばすのか、書いてある。
ここの本堂の天井にいろいろな絵がある。
40年前に人々に募集して描いてもらったのを貼ったと。
だからマリリンモンローなど奇抜なものがある。
これはいかがなものか、というお叱りもあったがようだが、「釈迦もインド人なのですよ」と答えていたようだ。
しかし、この岩本寺。外国人に迎合し過ぎの感あり。
境内への山門の階段にも、地下鉄の階段のように、英語でWelcom とか書いてある。
また、境内のおやすみどころがあるが、ちょっと外国風。
かつては外国人もたくさん来ていたのかな。それにしても迎合のし過ぎ。このようなことは外人でさえ喜ばないだろう。KYである。
7時に朝食。
岩本寺でお勤めをして、ハンコとサインをもらって、8時15分に出発。
今日は割とお寺ではなくて観光がメイン。
仁淀川上流の綺麗な滝を見にい行く。
須崎まで高速で、そのあと、仁淀川に沿って進む。
途中道の駅があり。寄り飲み物を買う。
天気も良いし、川も抜群に綺麗である。キャンプをする人も多数。
途中で変わった橋がある。
あれは何だろうと言うとママが「あれは水嵩が増えると橋が沈んでしまう変わった橋ではないか、という。
少し超えたがUターンをして戻る。帰るときに通るだろうから後でも良いかなと思ったが、見ておこう。綺麗な滝はメインイベンド。そのあとに細かいものをやっても感動が薄れる。それよりも今見たほうが感動が大きい。見る。
細い橋である。車一台がやっと通れるくらい。所々にでっぱりがある。小さな女の子を連れた若夫婦あり。綺麗な愛情をたっぷりと注がれて育っている子。お互いに写真を取り合った。
実際に生活道路として使われ車も通っている。でも水嵩が増えたら危ないだろうな。
ここを見て、仁淀川沿いに上流に向かって進む。
水はどんどん澄み渡り、山はいよいよ青さを増してくる。
仁淀川沿いに道の駅が3つあり、その最後のところに入って様子を伺おうと思ったら、満車であった。入られなかった。
さらに進む。近くまで行くと、係員が、交通整理をしていた。
ここも観光客がたくさん押し寄せるようになったのである。
ここは三密を避けよ、とは裏腹にたくさんの人。
しかし、普通のGWに比べたら、ずっと少ないのだろうな。
現に一番ポイントに高いところに駐車でき、急な鉄の階段を降りて下の方に降ってゆく。
程なく行くと、写真にあった通りの池、というか滝壺があった。
水は青く、半分に陽が差して輝いていた。
たくさんの人が写真を撮っていた。
にこ淵 動画 11秒
急な階段を登ってきてがおる 10秒
しばらくいてここを後にして、小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)に向かう。
途中の道の駅で昼ごはん。
小生はうどんの大盛り。わかめうどん。
ママは普通盛り。
あと、小生はそこで売っていた牛の肉の串を食べた。
https://youtu.be/ZDGI-E8Md0o 牛串を焼いている様子 8秒
けっこうお腹いっぱいになった。
ここから小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)を目指す。
結局、来た道とは違う道で行くので、先ほどの名越橋をUターンして見ておいて良かったのである。見なかったらそこまで虚しく戻らなければならないところであった。
大歩危(おおぼけ)につく。眼下に川を見る。絶壁である。
川で小さな遊覧船に乗ることができる。
ママが乗りたいと言う。私は、下まで降りて絶壁を見たいと思った。
ボートは随時出ている。
チケットを買って川縁まで階段で降りた。
次のボートに乗れた。ボートはけっこう繁盛しているようだ。
ボートに乗る前に写真を撮った。「気に入ったら買ってください」
あとで売るのである。
ボートで下からの眺めも絶景。崖の両岸にロープをかけて鯉のぼりを何本も泳がせている。
岩に左上にいくシワが刻まれている。その方向に海の底からせり上がったと言う。一方小歩危は右上にシワが走っている。故に大歩危と小歩危のあいだにせり上がったところの頂点があるという。
小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ) の由来
昔は今の国道の10mくらい上に細い道路があった。
断崖絶壁。立って歩くのも這って歩くのもやっと。どちらでも危険。
ということで小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)と言われたという。30分くらいの遊覧。
ここからまた、階段を上がり、お土産や発見場所のあるところに戻る。
ここには、平家の落ち武者が、蔓(かずら)だけで作った橋があると言う。源氏が攻めてきたら、その蔓を刀で切って橋を落とすのである。
母から昔々に聞いたことがある。
四国には平家が逃げてきて山の中に部落を作ったと言う。落ち武者部落という。
流石に小さかった私でも、あまりにも昔の話であるので、「今でもいるのか」と聞くと「せや」と断定していた。
ここがそうなのだろうか。
スタッフのおじさんに「そこに平家の落ち武者部落があるのか」と尋ねると、その奇異なことばに驚いた様子であった。そのようなものは聞いたことがないと。
ここから30分くらい。
時間も押してくるが、今日の宿坊 善通寺は、夕方のお勤めがない。6時からご飯でその時間に間に合えば良いと。
故に間に合いそうなので、かずら橋も行くことにする。
ここから30分。
行くと、やまに張り付くように家があり、段々の田んぼもある。
きっとここが平家の落ち武者部落だったところであろう。
かずら橋 たくさんの人が並んでいた。
ゆらゆら動き不安定だし、皆、写真を撮るので渡るのが遅いのである。
30分くらい並んだか。
結局、小歩危(こぼけ)、大歩危(おおぼけ)も崖のようなところを、駐車場から見るだけかな、と思ったし、その近くに、何か車で渡れるような橋、あるいは、見るだけの橋があるのだろう、と思っていたが、船には乗るし、かずら橋では並んで時間を取るし、しかも遠くにあるので時間を食った。
これで宿坊に入るのはギリギリとなるだろう。
ここから、小歩危(こぼけ)に行く。小歩危はビューポイントの駐車場すらない。小さな橋があったのでそこで止まり、見た。やはり絶壁。
ここから善通寺を目指す。
途中、トンネルがいくつも続く広い道路があり。そこを飛ばしていくと、ナビで道のないところを走っている。このまま行くと着くのか、それともまったく違うところに行っているのか。
不安になり、トンネルの出口で車が途切れたのでUターン。
また元の道に戻りナビの通りに行くと、大きな峠道となった。それを超えて、峠を降りると後ろにトンネルが見えた。ひょっとしたら、先のトンネルを抜けるとここに着いたのかもしれない。だいぶ損をしたかも。
ナビも全部信じるのはだめなのだ。
ここからはナビ通りに行く。
昔は道路をある程度調べておいて、途中の要所要所を道標を見て目指せばうまく行ったが、今はナビの時代なのである。ナビがないと動けない。分かれ道に昔はいつも道標があったものだ。今はないのである。このようなところで、ナビがどちらを示しているのかを調べなければならない。結局、ひっきりなしにナビを見なければならないことになる。
すったもんだの挙句に、それでも善通寺には6時過ぎに着く。しかし、すごく大きなお寺。駐車場に泊まったが、どこが宿坊なのか、大きな伽藍の建物が多数あり、どれが本堂なのかすら分からない。
歩いている職員のような人に聞くと教えてくれたのでそちらに駐車場から車を出してそこに行く。駐車場代300円かかった。
6時15分ころ宿坊に入り、すぐ夕食をいただく。このままでは食べられないので、トイレに行くと行って嘘をついて、部屋に行き、日本酒に氷を浮かべて飲んだ。これがすごぶる美味いのだ。駆けつけ3杯というが、湯呑み茶碗に5杯くらい一気に飲んだ。これがベラボーに美味い。
このあと夕食。刺身もあり美味い。
隣の人が来ないので食べますか、というので、皆いただいた。刺身はなかった。
ご飯のあとママはお風呂に行き、小生はテレビを見ていた。殺人事件の話で引き込まれた。結局お風呂に行く時間が遅れてママの不興を買ったようだ。すぐにビールを飲みたかったようだが、ビールを冷蔵庫に入れたり、また、持ってきたりしているうちに時間が経ちまた、不興を買った。文句を行って寝てしまった。
小生はテレビを見て、ビールと日本酒少々を飲んでいたら、独り言をいう声がうるさい、と文句を言いにきた。
小生も気分が悪いし、疲れているので寝た。布団がふかふかで気持ちが良い。
暖房がない、ということだが、非常に暖かく過ごすことができた。
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